35歳で社員カメラマンを辞め、個人事業主のカメラマンとして独立しました。今振り返れば、かなり勢いで決めた独立だったと思います。会社カメラマンとして経験も積んできたし、人物の撮影には自信があった。自分一人なら、なんとかやっていけるだろう。そんなふうに甘く考えていました。
でも、現実は甘くありませんでした。仕事はあるものの、そのほとんどがブライダルの下請け撮影。どんなに数をこなしても、そこから大きく収入が増えることはありませんでした。
しかも、独立して間もなく長男が誕生。妻はパートを休み、家族の生活を支えるのは自分の収入だけになりました。カメラマンの仕事だけでは生活費が足りず、早朝の物流仕分けのアルバイトを始めました。朝早くから4時間ほど働き、当時の時給は900円くらい。撮影がある日はアルバイトを終えてスーツに着替え、そのまま結婚式場へ向かう。朝は仕分け作業、昼はカメラマン。
子どもにおもちゃを買ってあげる余裕もなく、限りある予算の中で、100円ショップのおもちゃを買って遊ばせる。そんな「極貧生活」が2年ほど続きました。
でも不思議なことに、あの頃を「辛かった」という記憶ばかりではありません。お金はなかったけれど、家族で過ごす時間がありました。子どもの成長をそばで見ながら過ごせたことは、今振り返れば大切な時間だったと思います。
「仕事がうまくいっていることと、幸せであることは、必ずしも同じではない」
家族との時間の中で、そんな当たり前で大切なことに気づかされた気がします。一方で、仕事に対する危機感は膨らんでいました。当時の業界には、会社員をしながら土日だけ撮影に入るフリーカメラマンも多くいました。もちろん、いろいろな働き方があっていい。でも、カメラマンを本業として家族を養おうとする自分が、同じ価格帯、同じ条件で下請け仕事を続けていていいのだろうか。
ただ仕事を増やすだけでは、何も変わらない。とはいえ、それまで生活を支えてくれていた下請けの仕事を断るのは、正直、怖かったです。明日からの収入がなくなるかもしれないからです。それでも考えました。
「相澤だから」と選んでもらうために、自分には何ができるのか。
カメラマンとしての自分のアイデンティティは、どこにあるのか。
安さや都合の良さではなく、カメラマンとしての存在価値で直接選んでもらえる仕事がしたい。独立して3年目、怖さを抱えながらも、仕事のやり方そのものを変えることを決めました。勢いで独立して極貧生活の中で見えてきたのは、単なる稼ぎ方ではなく、「自分はどう仕事をしていきたいのか」「誰にサービスを提供していきたいのか」ということでした。
働き方を選ぶことは、どんな人生を送りたいのかを選ぶことでもある。家族との時間を大切にしながら、自分らしい仕事で生きていくにはどうしたらいいのか。極貧生活だったこの時期に、改めて自分の「仕事と、生き方」を見つめ直すことになりました。
そして私は、それまで自分を支えてくれていた下請けの仕事を、少しずつ手放していくことになります。



